毎日毎日 絵、そして言葉さんに出逢うのが嬉しくて、後半の人生を楽しんでいる。
手を切ったのが特別なことでもなければ、美術館を作ったのが不思議な事でもない。
それよりも、これから先に起こることが、なぜ分かるのが不思議なのである。
そして、そのことを口に出すほど、話を聞いた人達が心閉ざされるのも分かってきた。
自分の胸に秘められるものはちゃんとしまっておいて私で出来ることをしようと決めている。
あとで、「そうだったんだ」と納得していただければ、それでいいし、
それが本物のやさしさのようだ。
絵を描く喜び、言葉さんと逢えるドキドキがたまらなく好き。
言葉を添えながら何度涙を拭いただろうか。
受け入れるのと、諦めるのは、決して同意語ではないと思う。
受け入れる心の先には夢がなければならない。
私ごとだが、両手の切断を受け入れたお陰で、残った肘のありがたさ、
そして「死なんでよかった」の境地をにこにこと味わっている。
一つのマイナスが何倍ものエネルギーとなって、この体を、
心を支えてくれているのである。
ありがたいことに、風の丘美術館の夢も形になった。
失った両手は返ってこないが、
これで自分を生きぬくぞ。
受け入れた時から道は開け、
この風丘美術館に続いていた気がする。